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【第2回】 デジタル時代の制作者のライフイスタイル |
倉内 均 |
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2003年1月9日。世界最大の家電見本市「CES」がラスベガスで開催された。
パソコンや家電の各メーカーが最新の製品を出展したが、ブロードバンドが急速に普及するなか「デジタル化」された製品群からこの先どんな「デジタル的生活」が見えるか、が焦点となった。
アマゾンは開幕前々日の7日から10日までの間、ソニーの安藤国威社長を中心に取材した。(この模様は、SKYパーフェク-TV749CH『安藤社長のシンフォニア』で2月の一ヶ月間放送される。)
安藤社長は家電メーカーを代表してスピーチし、パソコンやオーディオ、ゲーム、モバイルなどあらゆる機器のネットワークの中心にテレビを置くことを提案、テレビがデジタル時代に生まれ変わることを強調して話題を集めた。キーワードは「ユビキタス・バリュー・ネットワーク」だという。
安藤社長の「ユビキタス」とは「誰もがいつでもどこからでも情報ネットワークにアクセスできる」意味として語られたのだが、この言葉には他に<あちこちに現れる、遍在する、至る所[広くあちこち]に存在する>という意味もある。
「ユビキタス」のこの意味こそ、私たちソフト制作者の新しいライフスタイルを示唆している、と私は思う。
ブロードバンド時代到来が叫ばれながら新聞報道に現れるのはもっぱらハードに関するもので、いっこうに中身の話題は登場しない。ブロードバンドに相応しいソフト(コンテンツ)を創るクリエーターの在り方に言及する議論も皆無といっていい。
私は番組制作者として仕事しながら、デジタルの特性を生かした番組作りでは先ず制作者自身のライフスタイルが劇的に変わらなければいけないと予感している。(私自身の希望でもあるのだが。)
これまで私たち制作者は一元的なライフスタイルのなかにいた。恒常的にひとつの制作拠点、あるいはひとつの会社に出勤して番組のかなりの部分を作ってきた。しかし、デジタル時代の番組制作では多元的なライフスタイルが必須となるだろう。なぜならデジタル化によって人々はライフスタイルを変え、これまで私たちが固定的に捉えてきた、家のテレビの前で受動的に見る「視聴者」という存在はなくなるからだ。パソコンやモバイルを家庭から持ち出し必要な情報や娯楽にお金を払って見るライフスタイルは始まっている。ならば制作者は日本や世界のあちこちに出かけ、そこに滞在し定点的な視点を発見して記録しパッケージし送出までする時代を私は待望する。そのとき制作者はその地での生活者であり、撮影や録音の技術者であり、その場所から番組を送る放送者でもあるのだ。
大げさに言えばデジタルの最大の可能性は、産業革命以降の機能分担主義から解放されて、それ以前のダ・ビンチやガリレオのような全的な人間表現を可能にするマルチな表現者になることなのだと思う。
<ユビキタス>な時代に、私たち制作者の生き方が大きく問われるに違いない。
人生を賭けるに値する、自分自身のテーマを獲得することができるかどうか。
デジタル時代のソフトはそこにかかっている。
(2003年2月) |
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