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いま『キヤノンスペシャル・未来都市 江戸〜時空の花園〜』
(3月23日テレビ朝日夜7時放送)の制作にとりかかっています。
企画の始まりは一枚の屏風絵でした。国立歴史民俗博物館が所蔵する「江戸図屏風」には明暦の大火で焼失しその後再建されることがなかった当時日本最高層の建築物、江戸城天守閣が描かれています。その天守閣から北側に目を移すと「御花畠」というのがあります。なにかの植物が植えられ花が咲いている様子です。これは一体なんだろう?この疑問がすべての始まりでした。
さっそく江戸の園芸の研究家に尋ねたところ、その「お花畠」は家康が作ったとされるもので、なんと1万坪とも2万坪ともいわれる広さであったといいます。ますますもって疑問は深まりました。なぜ家康はかくも広大な花畑を作ったのか?
謎はいま、少しづつ解けて来ています。
「御花畠」に咲いていた花の種類、それを作った家康から家光に至る三代の将軍たちの意外な素顔、そして単に愛でるだけではない「花」にこめた大きな意図が見えてきました。
明暦の大火で江戸の街の大半が焦土と化したのをきっかけに幕府は大規模な都市計画を進めていきます。戦国下剋上の戦さの時代から経済の時代へと移行させ、従って「武」の象徴であった天守閣を再建することをせず、都市をいかに活性化させるかに都市づくりの主眼をおいていきます。
江戸城を中心にして大名屋敷群が置かれ、各大名は上(かみ)・中(なか)・下(しも)と三つの屋敷を構え、それぞれに庭園を作りました。そこに池や林をつくり草花を植えたのです。大名たちは競って園芸に力を入れ、美しい庭園はステータス・シンボルを表すものとなっていきました。これが今に残る六義園や小石川後楽園です。
江戸という街を階層別の面積比率でみると、武家と寺社が全体の60%を占めていますから、江戸の街の大半は緑と花の風景だったといえるでしょう。
そして大名屋敷の庭園に出入りする植木職人を通じて町方の庶民へと「花」は広まっていき、過熱気味の園芸ブームをまき起こしていきます。駒込近くの染井には当時世界最大の一大園芸センターがあったといいます。花は産業化され、その技術革新の成果は現代には存在しない花さえ出現させました。
やがて、花が人々の生活になくてはならないものになった決定的な出来事がおこります。
8代将軍・吉宗が江戸の各所に数千本のサクラを植えたのです。
王子・飛鳥山、品川・御殿山、隅田川、小金井はサクラの名所となり、花見は江戸庶民の大事な娯楽となりました。飲んで歌うだけではないさまざまな花見の楽しみ方が工夫され、文化を生み出す社交の場になったのです。
幕末に江戸を訪れた外国人は、花に覆われた江戸の風景に驚いて「世界のどこにもないもっとも美しい都市だ」と言っています。
彼らはそれまで見たことのない花の種子をヨーロッパへ持ち帰り、その後思わぬ展開につながっていきます。
家康に始まった江戸時代は、「花」の260年間でした。
江戸は、まさに「花の都」だったのです。
江戸の街を見てみたくなりませんか?
(2003年3月) |
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