amazon  home Message From Us 倉内均エッセイ the way we're 採用情報 会社概要 過去の作品一覧

 マンスリーエッセイ
 >>第60回
[時代劇は新しい]
>>第59回
[未体験ゾーンの誘惑と挑戦]
>>第58回
[ドキュメンタリー劇場]
>>第57回
[挑戦の500日]
>>第56回
[『アファンの森の物語』]
>>第55回
[「肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)」]
>>第54回
[アファンの時間]
>>第53回
[Spring has come!]
>>第52回
[3D映像]
>>第51回
[いま、わたしたちはチャンスのなかにいる]
>>第50回
[(株)LATERNA(ラテルナ)との提携]
>>第49回
[The Harimaya Bridge はりまや橋]
>>第48回
[空気を描く]
>>第47回
[アマゾン20周年]
>>第46回
[『モンゴル』新しいヒーローの誕生]
>>第45回
[新しい組織への模索]
>>第44回
[the・at・ri・cal(1.演劇的な 2.芝居じみた)]
>>第43回
[ゲキ×シネ]
>>第42回
[方法論のみを追う者は堕落する(大島渚)]
>>第41回
[胸きゅん!]
>>第40回
[新番組はじまる!がんばる!]
>>第39回
[わたしが子どもだったころ〜唐十郎]
>>第38回
[母とママと、私。]
>>第37回
[「佐賀のがばいばあちゃん」グランプリ受賞!]
>>第36回
[台湾公開スタート!]
>>第35回
[異例!大ヒット御礼!]
>>第34回
[がばいばあちゃん、ありがとう!]
>>第33回
[がばいばあちゃん香港へ往く]
>>第32回
[佐々木守さん]
>>第31回
[映画「佐賀のがばいばあちゃん」始動!]
>>第30回
[映画「佐賀のがばいばあちゃん」公開決定]
>>第29回
[C・W・ニコルMBE]
>>第28回
[人材確保の将来]
>>第27回
[妖怪大戦争]
>>第26回
[アマゾン・ドット・コムの光と影]
>>第25回
[ハナビラタケ]
>>第24回
[出井流冒険の勧め]
>>第23回
[韓流の底流]
>>第22回
[初夢]
>>第21回
[ふたつの「春の祭典」]
>>第20回
[テレビドキュメンタリーを読む]
>>第19回
[新しいメディアを新しいビジネスに]
>>第18回
[アクション女優・チャン・ツィー]
>>第17回
[渡辺文雄さん]
>>第16回
[アマゾン採用試験]
>>第15回
[がばいばあちゃん]
>>第14回
[泥の役者・唐十郎]
>>第13回
[美しいカラダ]
>>第12回
[西村公朝師の教え]
>>第11回
[冷徹と非情の間にあるもの]
>>第10回
[唐十郎の凄腕]
>>第9回
[魔術師]
>>第8回
[神田川]
>>第7回
[夏とはいえど片田舎]
>>第6回
[番組は
夢の軌跡を写す。]
>>第5回
[予見]
>>第4回
[テレビは身体的表現]
>>第3回
[花の都・江戸]
>>第2回
[デジタル時代の制作者のライフイスタイル]
>>第1回
[出井さんのふたつの軸]


社長エッセイ Message From Usへ>>>
【第5回】予見 倉内 均
 
『Dancing for Dollars』(邦題「栄光と現実のはざまで」〜ボリショイバレエ団の苦闘)というタイトルのイギリス・チャンネル4制作のドキュメンタリーを見た。
1996年にモスクワのボリショイ・バレエ団のアメリカ、ラスベガス公演の興行的大失敗の顛末を追っている。
私は見終わって、「制作者の予見」ということを考えた。
このドキュメンタリーの作り手は、あらかじめ公演の興業的失敗を確信して撮影を始めたのではないか、と思った。

主人公はアメリカ人青年エド。
興業の世界では全くの素人である。
以前モスクワで観たボリショイバレエの感動から、このバレエ団の招聘を計画、自らラスベガス公演のプロモーターとなった。
彼のモチベーションは「米露の相互理解と素晴らしい芸術に触れることの意義」だった。善良なアメリカン・ドリームといってしまえばそれまでだが、この程度の夢に乗るほどドキュメンタリストは甘くはないだろう。制作者の内なる意図に、この素人プロモーターの失敗ぶりにこそ「真実」が覗けるという予見があったのではないだろうか。

ドキュメンタリーが始まる。
先ずは資金集め。エド自身にその資金はなく、公演を一般のファンドで賄おうと投資家の中心をオクラホマの農民に求めた。だが農民たちのほとんどはバレエというものを見たことがない。スケートのようなものだと思っている。バレエはよく分からないが、公演が成功すれば投資を上回るお金が返ってくる、その期待から一人200ドルたらずのなけなしの投資をしたのである。

公演の劇場として、エドが選んだのは派手なネオンサインが渦巻くラスベガスの中心、アラジンホテルの中のホール。
そこはキャパ7000人のコンベンション・ホールだった。
ラスベガスとバレエを知らない農民とボリショイバレエ。この何とも奇異な取り合わせに、ドキュメンタリーは最初のサスペンスを与えているが、ねらい通りに違いない。
果たして、総勢200人を超えるバレエ団の公演が前日に迫って、オケピットは出来ていない、楽器や衣装も届かない。そして当日になってもオケ用の照明さえ準備できない有り様に団員とのトラブルや不安の声を重ねていく。
と、画面は一転して、かつてのボリショイバレエ団の栄光の記録を挿入、伝説のスターダンサーの証言や華やかな名シーンを紹介し、いま進行している現実とのあまりにに大きな落差を強調する。

やっと、どうにか幕が開いて、『白鳥の湖』が上演される。
しかし、数日間の公演で売れているチケットは500枚にすぎない。
一日中電話にしがみつきチケットを売るエドと連日閑散とした客席で踊るダンサーたちの様子がカットバックされる。
救いのない絶望感に、作り手はさらに容赦なく栄光の名シーンをぶつける。

結局公演は失敗に終わって、バレエ団が手にした報酬は結局アドバンスのみにとどまり、ロサンゼルス公演への移動費すらなく、失意のうちにモスクワへ帰っていく。
破産し、莫大な借財を背負ったエドがひとり残るのだが、秀逸なおまけがあった。
なんと、カジノのスロットマシーンで3000ドルを手にしてしまうのだ。
「人生には、神様がくれる残念賞がある」とエドが語って、ドキュメンタリーは終わる。

これほど制作者の意図を強く伝えたドキュメンタリーは久々だった。
たまたま不幸な出来事であったにせよ、作意が勝っていたにせよ、この作品にはドキュメンタリストの確かで冷静な計算があった。
この制作者は明らかにあらかじめの「予見」を持っていたと思う。
予見の通りに展開するドキュメンタリーがドキュメンタリーと言えるかという思いはあるが、いま私は「予見」を持って番組に当たることをあえて選びたい。
「予見」には制作者の人生観や価値観や見識が求められる。
「予見」なしに、対象と向き合うことはできない。
これはフィルム・ドキュメンタリーの常識だった。
「予見」がない時代は不幸だが「予見」を必要とする時代はもっと不幸だ、と寺山修司なら言うかもしれない。
ビデオによる番組制作を続けて久しいが、ビデオの特性を生かした方法論も失われて久しい。
アマゾンが制作し先頃放送したNHK「テレビ50年ずっとテレビもっとテレビ」のなかで、藤井潔氏が語った一回に3分しか撮影できないフィルム・カメラから20分まわせるビデオへの転換期に採った<凝視>という方法論はその意味で示唆的だった。
ハイビジョン時代に入って、私は藤井さんの言葉を「予見」による凝視と受け取った。

(2003年5月)


 foot_topfoot_top
foot_middlecontact usfoot_middle
foot_bottommail