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『Dancing for Dollars』(邦題「栄光と現実のはざまで」〜ボリショイバレエ団の苦闘)というタイトルのイギリス・チャンネル4制作のドキュメンタリーを見た。
1996年にモスクワのボリショイ・バレエ団のアメリカ、ラスベガス公演の興行的大失敗の顛末を追っている。
私は見終わって、「制作者の予見」ということを考えた。
このドキュメンタリーの作り手は、あらかじめ公演の興業的失敗を確信して撮影を始めたのではないか、と思った。
主人公はアメリカ人青年エド。
興業の世界では全くの素人である。
以前モスクワで観たボリショイバレエの感動から、このバレエ団の招聘を計画、自らラスベガス公演のプロモーターとなった。
彼のモチベーションは「米露の相互理解と素晴らしい芸術に触れることの意義」だった。善良なアメリカン・ドリームといってしまえばそれまでだが、この程度の夢に乗るほどドキュメンタリストは甘くはないだろう。制作者の内なる意図に、この素人プロモーターの失敗ぶりにこそ「真実」が覗けるという予見があったのではないだろうか。
ドキュメンタリーが始まる。
先ずは資金集め。エド自身にその資金はなく、公演を一般のファンドで賄おうと投資家の中心をオクラホマの農民に求めた。だが農民たちのほとんどはバレエというものを見たことがない。スケートのようなものだと思っている。バレエはよく分からないが、公演が成功すれば投資を上回るお金が返ってくる、その期待から一人200ドルたらずのなけなしの投資をしたのである。
公演の劇場として、エドが選んだのは派手なネオンサインが渦巻くラスベガスの中心、アラジンホテルの中のホール。
そこはキャパ7000人のコンベンション・ホールだった。
ラスベガスとバレエを知らない農民とボリショイバレエ。この何とも奇異な取り合わせに、ドキュメンタリーは最初のサスペンスを与えているが、ねらい通りに違いない。
果たして、総勢200人を超えるバレエ団の公演が前日に迫って、オケピットは出来ていない、楽器や衣装も届かない。そして当日になってもオケ用の照明さえ準備できない有り様に団員とのトラブルや不安の声を重ねていく。
と、画面は一転して、かつてのボリショイバレエ団の栄光の記録を挿入、伝説のスターダンサーの証言や華やかな名シーンを紹介し、いま進行している現実とのあまりにに大きな落差を強調する。
やっと、どうにか幕が開いて、『白鳥の湖』が上演される。
しかし、数日間の公演で売れているチケットは500枚にすぎない。
一日中電話にしがみつきチケットを売るエドと連日閑散とした客席で踊るダンサーたちの様子がカットバックされる。
救いのない絶望感に、作り手はさらに容赦なく栄光の名シーンをぶつける。
結局公演は失敗に終わって、バレエ団が手にした報酬は結局アドバンスのみにとどまり、ロサンゼルス公演への移動費すらなく、失意のうちにモスクワへ帰っていく。
破産し、莫大な借財を背負ったエドがひとり残るのだが、秀逸なおまけがあった。
なんと、カジノのスロットマシーンで3000ドルを手にしてしまうのだ。
「人生には、神様がくれる残念賞がある」とエドが語って、ドキュメンタリーは終わる。
これほど制作者の意図を強く伝えたドキュメンタリーは久々だった。
たまたま不幸な出来事であったにせよ、作意が勝っていたにせよ、この作品にはドキュメンタリストの確かで冷静な計算があった。
この制作者は明らかにあらかじめの「予見」を持っていたと思う。
予見の通りに展開するドキュメンタリーがドキュメンタリーと言えるかという思いはあるが、いま私は「予見」を持って番組に当たることをあえて選びたい。
「予見」には制作者の人生観や価値観や見識が求められる。
「予見」なしに、対象と向き合うことはできない。
これはフィルム・ドキュメンタリーの常識だった。
「予見」がない時代は不幸だが「予見」を必要とする時代はもっと不幸だ、と寺山修司なら言うかもしれない。
ビデオによる番組制作を続けて久しいが、ビデオの特性を生かした方法論も失われて久しい。
アマゾンが制作し先頃放送したNHK「テレビ50年ずっとテレビもっとテレビ」のなかで、藤井潔氏が語った一回に3分しか撮影できないフィルム・カメラから20分まわせるビデオへの転換期に採った<凝視>という方法論はその意味で示唆的だった。
ハイビジョン時代に入って、私は藤井さんの言葉を「予見」による凝視と受け取った。
(2003年5月) |
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