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【第7回】夏とはいえど片田舎 倉内 均
 
「東海道四谷怪談」をテーマにした番組を準備している。
私は、どうしても子供の頃を思い出す。
その昔、日本の映画界には現代のアニメ・モノとかアイドル・モノとかのように「怪談モノ」というジャンルがあって、時代劇をはじめ現代劇やSF調の怪談モノが盛んに作られていた。
怪談モノは、夏休みの頃、必ず映画館にやって来る。
昭和30年代前半に小学生だった私だが子どもだけではなく多くの人が好んで観たのは天知茂が主演する「四谷怪談」や「牡丹灯籠」、「番町皿屋敷」などの江戸時代の怪談モノだった。人を殺すに至る人間の思いも恐かったが、死んだはずの死人が甦ってこれでもかと手を変え品を変え現れる現世への未練のようなものがなにより恐かった。心臓が破裂するとはまさにこのことで、何日も恐さが残った。恐怖の質が今のものとは違って、物語そのものにある不条理というのか、人間そのもののなかに在って何人も逃れる事ができない因果というのか、サプライズを旨とする現代のホラー映画とはまったく異なった恐怖感がそれらの映画にはあった。それでも次の夏には必ずまた映画館に足を運んだ。
私たちのあの恐怖への熱狂はなんだったのだろう?

当時、映画会社はそれぞれ専属の俳優と監督、スタッフを抱え、独自の路線を敷き競合による共倒れを防いでいた。中川信夫という天才監督の演出力によるものなのか俳優陣の演技力なのか新東宝という会社の経営力なのか分からないが、江戸の怪談モノは新東宝の独壇場で、作品の完成度においても恐さにおいても他社の怪談モノの追随を許さなかったように思う。
その後少し経って新東宝は倒産し、私も夏休みに怪談映画を見る事はなくなった。
それは日本が高度経済成長を迎える時期だった。
江戸の怪談噺にこだわりつづけた新東宝という映画会社が消えたのは、日本人の怪談モノへの熱狂が消えたからに違いない。
なぜ私たちはあれほど熱中し共有した、サーカスの空中ブランコのように生と死が交錯するスペクタクルへの熱狂を捨ててしまったのだろう?
いま私は「四谷怪談」に取り組むことになって、先ずこの疑問を解かなければ先へ進めない気がしている。

さらに昔話をするのをお許し願って、昭和30年代はじめのこと。
小学生の私は毎年の夏休みを青森の海辺の小さな町で過ごした。
太平洋戦争が終わって10年ほど、大人たちの日常会話にはまだ戦争の話題がのぼっていて、南方で戦死した身内がふと夢枕に現れたといったこともよく耳にした。
クルマが珍しい時代でテレビもまだなかった頃で夜ともなると、いっさいの騒音が消え辺りは森とした静寂に包まれて、聞こえてくるのはゆったりとしたリズムの潮騒の音だけだった。私は布団のなかで、昼間に聞いた戦死した人の話をこっそり袋から取り出すようにして思い出し、あれこれと情景を想像した。
死は子どもにとっては想像できないものだったが、決して遠いものではなく、なにか不思議な物語を残してくれるものとして感じていたように思う。
子どもの私をそんな気にさせたのは、暗闇に響く潮騒のせいだったかもしれない。
そして、子どもも大人も町中のすべての人が潮騒を聞きながらひとつの夜を共有していた時代があったのだと、いまになって思う。
やがてその町にもテレビがやってきて人々は力道山と長嶋茂雄に熱狂し、クルマに乗って買い物をし、結婚式や墓参りにもクルマで出かけた。海にはコンクリートの堤防ができて浜が無くなりあの潮騒は聞こえなくなった。私たちは高度経済成長を熱烈歓迎した。

最近、ロバート・ハリス氏と話す機会があって、彼はこんなことを言った。
「『ニューシネマ・パラダイス』で映画監督として成功したトトが数十年ぶりに故郷を訪ねたとき、なぜあんなにも憂鬱な顔をしているのだろう?」
いま、私たちが共有していると思ったモノは既になく、熱狂の物語も生まれない。
「東海道四谷怪談」を生んだ江戸の人々は何を共有していたのか?
江戸の人々が熱狂する物語はどこから生まれたのか?
子どもに戻って考えてみようと思う。

(2003年7月)


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