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【第12回】西村公朝師の教え 倉内 均
 
 12月2日、「天台大仏師法印」西村公朝さんが逝去された。享年89歳だった。
 西村公朝さんは日本を代表する仏師として数々の仏像を彫刻され、戦後すぐに京都・三十三間堂の千手観音千一体仏を、昭和35年には広隆寺の弥勒菩薩像の修理を手がけられたことでも知られている。「法印」とは僧侶の位でいう「僧正」であり仏師の最高位にあたる。また、昭和27年に得度、天台宗愛宕念仏寺の住職として僧職にも就いてこられた。
私が、西村公朝さんに初めてお目にかかったのは平成11年、1999年の夏のことだった。その時、公朝さんから仏師ならではのお話しを伺った。仏像はたいてい拝む側からの目で見られている。しかし、拝まれる仏像側に立った視点からみると、これまでの私たちと仏像との関係のあり方が違ってくる、とおっしゃった。
廃仏毀釈の明治以来今日までの100年間、日本政府は歴史的な仏像を国宝や重要文化財として保護して来たが、それはあくまで宗教が介在しない「仏品仏画」あるいは「美術品」としての保護であり、祈りの対象としての仏像保護ではなかった。すなわち国宝や重文に指定された仏像は「文化財保護法」のもとに置かれ、宗教と切り離され祭壇や灯明などと一緒に祀られることは禁じられてきたのだった。
仏像は人々の祈りの対象として造られた。それが本来の姿であり、21世紀を迎えようとするとき、仏像の本来の姿を通して私たちの祈りの気持ちを再発見したいというのが公朝さんのお話しだった。

その年の11月、私たちは公朝さんの仏師としての視点から番組を制作した。
 翌年1月にNHKで放送された『発見!仏の世界』である。
 私たちは、公朝さんとともに清水寺、浄瑠璃寺、宝山寺、神護寺、東大寺をめぐって仏像を撮影した。
現在、国宝や重文指定の仏像の多くは一般に公開されているが、思い出していただきたい、室内に安置されている仏像を照らす照明は仏像の頭上から電気照明によってなされている。しかし、多くの仏像は電気の無かった時代に作られ、そして祀られてきた。仏像を照らす光源は本来的には祭壇の蝋燭で、下からの光だった。
京都市の、空海が本拠地とした神護寺には五大虚空蔵菩薩像が祀られている。ここでの撮影で、私は光源の位置によって仏像の表情に決定的な違いが生じることに驚いた。
上からの電気照明では、先ず仏像の上瞼に影ができ、目元涼しく目を細めた優しい表情になる。頬と唇にも影ができて顔に微笑みが生じる。いかにも慈悲深い有り難さを持つ仏像の印象だ。しかし、電気を消し、蝋燭による下からの照明で見たとき、仏像の表情は一変した。上瞼と頬や口の下にあった影は消え、目はかっと見開くようになる。優しかった表情は厳しいものに変わったのである。さらに蝋燭の火は風に揺れ仏像の表情に映されて、まるで生きているかのような生命感を表情に与えた。また、胸飾りや腕の下の影もなくなり、上からの電気照明で前屈みに見えた姿勢はすっと立ち、重そうに見えた腕も軽みを発揮する。その時確かに、仏像本来の姿が現れたと私は感動したのを憶えている。仏はただ優しいだけではない、厳しい祈りの気持ちがなければ仏の慈悲は与えられない、公朝さんからそう解説もしていただいた。
 神護寺での撮影の合間に、境内で拾った小さな石に公朝さんがさっと顔と姿を描き入れてくださった『虚空蔵菩薩』は以来私の宝物になっている。

私がこの番組制作で公朝さんから教えていただいたのは、「視点の移動」と言うことだったと思う。常識とされている物の見方、定型とされている形を一度疑って見ること。つまり視点を移動させて人間や物を見ることは演出の基本だと改めて教えていただいたように思う。そして、隠された本来の姿を掘り起こし、そこに込められた人間の思いを再発見する、それこそがクリエイティブな作業なのだと考える機会になった。

12月18日。公朝さんが住職を務めてこられた京都・愛宕念仏寺で本葬が営まれた。信徒の人たちと一緒に彫ってこられた1200体の石の羅漢が弔問の人を迎えてくれていた。
数年間にわたって公朝さんを撮り続けご最期にも立ち会った写真家の広瀬飛一さんもその席にいて、公朝さんは闘病生活でノミを持つ力も失いかけながらも10年越しの「釈迦十大弟子」の最後の一体を彫り上げて臨終を迎えられたと伺った。
公朝さん、ゆっくりお休みください。

(2004年1月)


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