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【第13回】美しいカラダ 倉内 均
 名は体を表すというが、体こそ名を表す。本当はカラダにこそ人間の本質が表れるのではないだろうか、と私はローラン・プティが振り付けする『ピンク・フロイド・バレエ』の稽古を見ながら考えていた。
アプリオリに美しいカラダというものはない。引き締まって均整のとれた肉体であっても、その人間の内実が感じられないカラダは私たちを納得させない。稽古場でよく見かけた、日常での緊張感を感じさせないダンサーのカラダは美しいとは思わなかった。
美しいカラダは自分の内部の燃焼から生まれるのだと思う。ダンサーの生き方そのものがカラダから信号となって発せられ、私たちは最初、目で受信する。そして「ゾクゾクする」とか「シビれる」とか、私たちはカラダ全体でダンサーのカラダ、つまりは彼や彼女の生き方を受けとめて感動の極みに昇華させていく。理性が働くまえに先にカラダがものの本質に触れているのだ。
横道にそれるが、番組制作の過程であらかじめ論理的に用意した考えが、撮影現場の雰囲気によってみじんに壊れるのと似ている。現場での五感を信じるやり方が番組を力強くするという経験則は制作者の誰もがもっている。(もちろん、五感による破壊のためには最初に論理的な創造が必要なのだが)

2月初旬、東京で公演された『ピンク・フロイド・バレエ』に、パリ・オペラ座バレエ団のダンサー、マリー=アニエス・ジロがゲストとして出演した。そのダイナミックなダンスに圧倒されながら私は彼女の言葉を思い出していた。昨年10月、オペラ座の秋のバレエシーズンの幕開け2作目、同じくローラン・プティの『クラヴィーゴ』で官能的な女性を踊ったマダム・ジロは、私たちのインタビューに「ダンスとは自分自身の発見である」と答えた。そして、新しい表現はそれまで気づかなかったもう一人の自分を見つけだすことではじめて手に入れることができると語った。すなわち、美しいカラダは自分と向き合うことなしには生まれないということだ。私はこころから感動し熱烈な彼女のファンになった。
ジロだけではない。日本のダンサーたちもかれらのカラダで生き方を語った。
『ピンク・フロイド・バレエ』のオープニングをソロで飾った19歳の菊地研のカラダは躍動感あふれるものだったし、上野水香のカラダははっとするほど美しくドラマチックに動く。そこから想像できるのは、菊地研という若者がいま大きなチャンスを与えられて躍動的に日々を過ごしていることを思わせるし、世界の舞台に登場し始めた上野水香はダンスに真摯に向き合い、たえず自分を変えていくことを考えつづけている深さを伺わせる。ダンサーのカラダは正直に人間を語る。

一方で、ダンスは振付家によって創られる。振付家は言葉でなく実際に自分で動いてみせてダンサーに伝える。カラダだけがコミニュケーションのツールになっている。実際、ローラン・プティの稽古を見ているとダンサーと交わす言葉のほとんどは「素晴らしい!」とかの感嘆詞や「きっと上手くいくよ」といった激励の言葉だ。けっして言葉で意図や具体的な動きを指示することはない。とすると、振付家の美意識や教養や精神といった作品のテーマの根幹をなす思想はカラダで伝えるしかないことになる。すなわち、カラダは思想そのものとして考えなければ振付家の仕事は成立しない。撮影の現場で抽象の迷路でもがく私にとって、ダンスはとても明解な出口を与えてくれる。

やはり、オペラ座のダンサーでクラヴィーゴの妻を踊った、クレールマリー・オスタは語った。
「ダンスは、人生の答えを与えてはくれません。しかし、人生の理想がどんなものかを見せてくれます。それにより、人間として生きるための手がかりを示してくれるのです。だからこそ、私たちは努力をし、正確に、深く、そして毎日変わらずに訓練された体で踊らなくてはならないのです」

ダンスという表現は、カラダに尽きる。
美しいカラダへの希求は、美しい私自身であることへの希求に他ならない。
いま、私のカラダは美しいだろうか、と考えてしまう。

 この稿を書いた直後、「週間新潮」の一報に接した。上野水香が牧阿佐美バレエ団を退団したというものである。世界のミズカになってほしい、心から願ってやまない。

(2004年3月)


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