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5月と6月はアマゾンの新人採用の季節だった。
アマゾンの定期採用は設立以来、社員全員が参加するのを原則に続けている。何百通という応募者の作文を読んで一次選考が始まり、二次三次の課題作成と試験実施、そして個人面接、最終選考で終わる、およそふた月に渡る作業だ。社員数十人が通常の番組制作の仕事をするかたわら採用試験に関わる。この間に私たちが費やす時間と手間ひまは膨大なものだ。番組制作に置き換えても特大の単発番組をはるかに超える規模といってよいだろう。
最終選考の段になって社員による議論が白熱する。挙手による多数決で数名に絞られていく過程で、ひとりの人物を巡って何度も議論が繰り返される。最初、少数の手しか挙げられなかった人物でも強烈に推す意見が説得力を得て挙手の数が増えたり、また多くの賛成者がいても正鵠を得た反対意見で逆転が起きたりして、議論は深夜に及ぶことが多い。
「採用」にかかる人的労力は、大型番組制作に匹敵するアマゾン最大の会社イベントである。と言ってもそれは規模の問題だけではない。選ぶ側である社員の一人一人が問われる、という意味でも大きなイベントだ。新しい仲間を選出するにあたって私たちは結局、「アマゾンとは何か」というテーマに直面し、自らが考える製作会社としてのありかたや「番組とは何か」を自分に問うはめになるからだ。社員が一同に集まってこうしたことを考えたり議論をする機会は日常の番組制作の現場ではなかなか無い。「採用」は最大級の熱エネルギー質量が働くもうひとつのプロジェクトとして私たち自身を鍛える場にもなっている。
毎年開かれている ATP(全日本テレビ番組製作社連盟)主催の就職セミナー「TV-EXAM」での会社説明会で、私はあえて「アマゾンに入りたい人だけが受けに来てください」と強調している。奇異に聞こえるかもしれないが製作会社ならどこでも、という学生が年々増えているのだ。そうした傾向のなかでは私の発言は挑戦的だと思う。
私は採用試験を、彼らが社員を相手にアマゾンという会社について議論したり、アマゾンが制作する番組を批評する場にしたいと考えている。用意された就職マニュアルや一般的なテレビ論ではなく、アマゾンやアマゾンの番組を刺激する意見や思考から、その人物のクリエイティブな姿勢や資質は充分に見えてくる。
「アマゾン」にこだわる採用は今後も続けていきたいと思う。なぜなら、私たちが最も関心あるのはアマゾンとその番組だからだ。
しかし、いま私はちょっと暗然たる思いがしている。今回の採用試験に限っても、アマゾンの制作する番組を見ずに受けに来たり、何年も前に放送された番組しか見たことがない、という人が少なからずいたことに驚いた。人々の関心を惹くような番組を私たちは作っていないのではないかと自戒もしたが、ぜんたい、自分の新しい人生の場所を決めようとするときに、就職先の仕事の内容とそこにどんな人間がいるのか研究することなしに採用の場に臨む彼らのことをどう考えたらいいのだろう。
もしかしたら、いま就職活動をする学生たちの間ではそれは一般的な姿勢になりつつあるのかもしれない。就職氷河期といわれながら、学内を見渡しても同じ姿勢の人間が多いことが競争心をなくし、自分を磨くことに怠慢になっている状況がキャンパスを覆っているとしか思えなかった。
私を不安な気分にさせるのは、今後ますます、製作会社の中にそうした人間の数が増えていくのではないかという思い。そのときに現れるのは、仕事の質と個性を問わない「均一」化である。「均一」はクリエイティブの最大の敵である。
6月中旬、アマゾンの採用試験は終わった。
今回、採用を内定したのは例年より少ない2名だった。
大げさだが私たちの業界は日本の大学教育に批判的かつ積極的に関わる必要があるのではないかと本気で考えている。
(2004年7月) |
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