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渡辺文雄さんが亡くなられた。
20年ほど前「TVムック」という番組でご一緒して以来、C・W・ニコルさんの番組で何本かご出演願った。その間、行きつけの赤坂のおでん屋で偶然一緒になって飲むこともあった。また、還暦のお祝いのパーティで赤いちゃんちゃんこを贈られた渡辺さんがさっそくそれを身につけ、いかにも若々しい渡辺さんがちょっと戸惑いを見せた光景はいまでも鮮明だ。
渡辺文雄という俳優は、私の高校生時分に夢中になって見た大島渚映画の常連として、大学に入ってからは東映ヤクザ映画の悪役インテリヤクザとして、私にとっては強烈な存在だった。二枚目なのに屈折した強面というキャラクターはそれまでの日本映画にはいない特異なものだったように思う。
渡辺さんのライフワークともいえる「遠くへ行きたい」でご一緒することはなかったが、ニンニクをテーマにした「TVムック」ではじめてご一緒し、隠岐、高知、信州、そして韓国でロケをした。私が30代前半のときだ。それはニンニクがなぜどのようにして日本へ渡ってきたのかを探る番組だったが、私はノンフィクション番組でありながらドラマさながらのシナリオを作り、フリートークを身上とするリポーター渡辺さんにあえて台本のコメントをお願いした。博覧強記で知られ、巧みな話術の持ち主の渡辺さんに、無謀とも言える演出をしたのはいまとなっては赤面ものだが、20も若いディレクターの実験に渡辺さんは面白がって「つくられたドキュメンタリー」の片棒をかついでくれた。完成後の試写を見て「こんなのがあってもいいよね」と言っていただいた一言が、ちょっと複雑なニュアンスとして私に残っている。
渡辺さんほど、スタッフと酒を飲みながらあれこれ話し合うのが好きな人はいなかった。夕食後、ロケ先の宿舎の部屋にスタッフが集まり、撮影中の番組に始まり、古今東西の歴史や映画の話題に及びきまって深夜になった。あり余る知識と思考のすべて吐き出さないと気が済まないのではないかと思えるほど、渡辺さんは全力で語った。こちらも黙って聞いているだけではすまされない、浅薄な耳学問も動員してなんとか応戦しければならない、まるで戦場のような夜になった。そして、それが翌日の撮影に確実に反映した。風景カット一つ撮るにも気合いが入った。その番組のカメラマンが何年かたって「あの夜のことは忘れられない」と言ったほどだ。集団でものを作ることの意味と力の源泉のありかを渡辺さんに教えていただいた。
そんな人はもういない。
きっとあの世でも、渡辺さんは相変わらずに仲間と痛飲し、おおいに語り合っていくだろう。
こころよりのご冥福をお祈りします。
(2004年8月) |
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