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アマゾンが制作した『ダンスの冒険者、ローラン・プティ』が、NHKハイビジョン特集の枠で来春放送されることになった。
私たちの番組は、ソニー株式会社と制作会社4社が著作権を持ち合って共同製作した一時間番組4本のうちの1本である。制作を始めた時点で放送局は決まっておらず、番組完成後にNHKに放送権を譲渡する形での放送となった。
『ダンスの冒険者、ローラン・プティ』は、振付家ローラン・プティの60年にわたる作品を総覧しながら、クラシックからジャズ、ロックへとひとつのジャンルにとどまることなく越境してきたその背景に、パリという異文化が融合する都市の記憶を浮かび上がらせようとする番組である。
1924年パリに生まれたプティは20歳のとき、ナチス占領からの解放を待っていたかのように最初の作品『旅芸人』を上演する。場所はシャンゼリゼ劇場。この劇場こそ、1913年にストラビンスキー『春の祭典』バレエでこけら落としを飾った伝説的な場所だ。革命下のロシアを逃れて、パリを拠点に活動を始めたディアギレフとニジンスキーのこの初演作品は20世紀バレエの始まりをつげるバレエの革命であった。それは、異文化であったロシアの芸術がパリの芸術になった瞬間でもあった。私は、ローラン・プティが振付家としての第一歩にこの劇場を選んだところに、革新的バレエの血筋を受け継ごうとする並々ならぬ気概を感じる。
『旅芸人』は作品的にも異世界への強い関心が現れていて、登場人物はサーカス一座の道化、曲芸師、シャム双生児とそれまでの上流階級のためのバレエには決して登場することはなかった見世物小屋の芸人たちだった。そこに、戦後の大衆文化の到来を予感するプティの新しさがある。
そうしたプティの発想の元を辿れば、ナポレオン・ボナパルトに行き着く、と言ったら飛躍だろうか。ナポレオンはセーヌ川の治水と交通網の整備で、運河を縦横にめぐらした。パリを世界一の経済都市にするために運河はなくてはならないものだった。都市化にともなって国籍を超えたさまざまな芸術家が集い、かれらは結びつき、パリは伝統を打ち破る新しい文化の発信地となっていった。
プティの仕事仲間をみると、パリがいかに多彩な芸術都市であり、異文化のるつぼだったかがわかる。ジャン・コクトー、ピカソ、ベラール、マリー・ローランサン、サガン、イヴ・サンローラン、ハナエ・モリ、デューク・エリントン、サティ、そしてピンク・フロイドといったひとたちとの交流がプティ作品を形成している。異文化同士の交流が時代を拓く。なによりその証左をプティ自身が示している。
そしていま、異文化交流は芸術表現の領域をさらに深めて人間のこころを解放する手だてになっている。その一例が映画『ベルリン・フィルと子どもたち』(原題『RHYTHM IS IT!』)にある。
このドキュメンタリー映画は、ストラビンスキーのバレエ組曲『春の祭典』を演目にしての、ベルリン・フィルと250人のダンス未経験の子どもたちによる公演記録である。子どもたちの多くはイラク、イラン、ロシア、ギリシャからの難民であり、なかには家庭や学校、社会にうまくコミットできずに自信を失い、自閉的な状況に追い込まれている者たちがいる。
映画は6週間に及ぶリハーサルを追っている。最初はクラシック音楽への違和感からダンスに集中できない子どもたちに対して、振付家ロイストン・マルドゥームの、振付というよりはがまん強い対話がつづけられる。やがて、出身や年齢、環境の違いをかかえながらも、子供たちはひとりひとり自覚的に踊るようになっていく。
この映画の見どころは、子どもたちがダンスを通して自分を見つめ、こころを解き放していくさまにある。そして、ラスト、子どもたちとサイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルとの共演の舞台は緊張感に満ちた感動的なシーンとなっている。
不思議なことに、ストラビンスキーの『春の祭典』は時代の危機に登場する。20世紀はじめの第一次世界大戦直前のパリでダンス芸術に革命をもたらし、そしていま21世紀初頭のテロと戦争の時代にあって、ベルリンで子どもたちに生きる手助けを与える。そのいずれもが異文化同士の出会いによるものだ。
しかし、異文化交流はパリやベルリンの芸術の世界の話に終わらない。私たちのテレビの現在に関わる問題である。アマゾンの採用試験を受ける大学生の均質化については既にこの欄に書いたが、経済価値と効率を求めてのマニュアル化が急速に進んで、そこからもたらされる均質な社会ほどクリエイティブから遠いものはない。
ベルリン・フィルの芸術監督として教育プログラムを推進するサイモン・ラトルは映画の中で言っている。
「いまベルリンではかつてない規模の経済破綻が進んでいる。これからの時代を生き残るために芸術は戦わなくてはならない。そのためにはもっとクリエイティブな人間が必要だ。違う物事を結びつけたり、新たな方向に進むことができる人間が必要だ。この狂った時代、人々は芸術に生きる意味を見いだす他はない」
(2004年12月) |
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