脚本家の佐々木守さんが、亡くなられた。
佐々木さんは、大島渚監督の映画や、テレビドラマの常識を破り<脱ドラマ>の異名をとった「お荷物小荷物」、怪獣の喜びと哀しみを描いた「ウルトラマン」、さらには人気漫画「男どアホウ!甲子園」の原作など精力的な創作活動をつづけた作家だった。
わたしが佐々木守作品の虜になったのは高校生の頃欠かさず見ていた「七人の刑事」(TBS)だった。そのなかでも『時には母のない子のように』とか『帰ってきたヨッパライ』(唐十郎主演)といったヒット曲をタイトルにした歌謡曲シリーズは傑作揃いだった。
『二人だけの銀座』」(今野勉演出・1967年)はその代表だった。房総の漁師町で働く娘(吉田日出子)が、海に遊びにきていた「みゆき族ファッション」の若者たち数人に声をかけられそのまま姿を消してしまう。「みゆき族」とはVANの洋服を身につけ銀座のみゆき通りにたむろする若者たちのことだ。娘の恋人である漁師の青年は、彼女が若者たちのクルマに乗せられたのを目撃し警察に通報、ただちに誘拐事件として警視庁の七人の刑事が動き出す。そして青年も彼女を探して銀座の町をさまよう。
フィルムカメラ1台を使ってのこのドラマの撮影は、全編実際のみゆき通り周辺で行われたと思われる。ホンモノの「みゆき族」の姿や彼らの溜り場の「絨毯バー」などリアルな風俗を映し出す実景ショットと俳優たちが探すシーンとを重ねていく構成は、隠し撮り風の手持ち撮影の効果もあって、ほとんどドキュメンタリーを見ているようだった。
みゆき通りに集う若者たちはほかの誰にも関心がない。みゆき族という<族>であってもかれらの間に何らつながりはない。だから彼女の消息はいっこうに掴めない。漁師の青年はしだいに苛立っていく。
ラストシーン。漁師の青年がついにみゆき族の若者と一緒にいる彼女を見つける。ナイフを抜きみゆき族から彼女を奪おうとしたとき、彼女が言う。「誘拐なんかじゃない。連れてきてもらったの、ここはすごく楽しいわ」(という意味のセリフだったと思う)。瞬間、青年はいきなり走り出し、ナイフをかざしたまま目の前の通行人めがけて突進する。駆けつけた刑事が「バカヤロー、なんでお前をパクらなきゃならないんだ」と叫んで番組は終わる。
『二人だけの銀座』から13年後の1980年、わたしはフジテレビの連続ドラマ「ピーマン白書」のディレクターとして佐々木守さんと仕事をすることになった。成績のあまりの悪さに、「お前ら、小学校からやりなおせ」と校長に怒鳴られた杉並八中3年3組の生徒25人が、自分たちを受け入れてくれる小学校を探して全国を旅するというロードムービーである。半年間26回連続の予定が、低視聴率のために6回の放送で打ち切りとなって会社には甚大な損失を与えた番組だったが、佐々木さんとの仕事は実に楽しいものだった。番組作りについても多くを教えられた。
「大きな嘘をつくためには、けっして小さな嘘をついてはいけない」。いまでも、わたしの座右の銘としている佐々木さんの言葉だ。
当時、佐々木さんは石川県の山中町に住んでいたことから、脚本作りはもっぱら近くの山中温泉の旅館に二人で籠っての作業だった。あるとき、佐々木さんが右手を怪我し包帯をしたので、口述筆記ということになってわたしが原稿用紙に書いたことがあった。脚本ができたとき、佐々木さんは愛用のモンブランのシャープペンシルをわたしにくださった。
享年69歳。はやすぎる訃報だった。
(2006年3月)