映画『シアトリカル~唐十郎と劇団唐組の記録』は、大島新氏が半年間の撮影期間を費やして完成させた第一回監督作品である。大島新氏は「情熱大陸」などテレビドキュメンタリーの演出を数多く手がけてきた。わたしが見たいくつかの番組では、淡々と対象の人物を描きながら透明感のある内容が印象に残っている。
映画は、唐十郎が新作戯曲の執筆を始める2006年の秋から始まる。以前、箱書きや下書きをしない、一字一句の訂正もない唐の第一稿にして決定稿となる手書きの戯曲を見て、この人の頭のなかって自分の想像力なぞはるかに超えたところにあるんだと、驚嘆したことがある。映画の序幕が、大学ノートに万年筆で整然と書かれた台本のクローズアップで始まることから、このドキュメンタリーは、唐十郎の創造世界の、おそらく誰も見たことがないその謎と秘密を解き明かそうという物語であることが分かる。
© いまじん 蒼玄社 12月ロードショー
完成した台本は、俳優であり演出家でもある唐自身によって、具体的な芝居として形作られていく。観客は冒頭に与えられた「唐十郎の謎と秘密」という命題を抱えながら映画を見ていくが、なかなか一筋縄にはいかない。唐十郎という表現者は、たえず日本の名もない庶民に視座を据え、ギリシャ神話やプルーストやジュール・ヴェルヌと交流し、正気と狂気、正確な方位磁石とそれを狂わす強烈な磁力、少年と(江戸下町の)大人といった「極」を同時に合わせ持ちながら回転する、巨大な振り子そのものだからだ。
映画はそこで、14人の唐組劇団員を登場させ、かれらの行動を通して「唐十郎」に迫ろうとする。俳優である劇団員は台本印刷に始まって、大道具、小道具、衣裳にいたるすべてをみずから製作する。また、合宿生活や日常化した飲み会など身体運動の連続である。それはあたかも求道者の姿に似て、具体的作業にたいして身体的であればあるほど、かれらは他では得られない精神性を獲得しているように見えてくるのだ。女優の藤井由紀が映画のなかで、一個の女優になることではなく、唐組劇団員になることが人生の目的だと語るその言葉を聞いて、わたしは、この映画の、そして唐十郎の謎を解いた気になった。
劇団員が求めているもの、それは代え難い共同体意識。かつてたしかに存在したような記憶を呼び覚ます、しかし、いまはどこにも存在しない「町」。唐十郎が劇団唐組で作ろうとしているのは、「町」であるような気がする。
(2007年11月)